さぁ、引き続き、
いい文章のシェアです。
お元気様です。
現代社会で一般的な教育を受けると、
自己の権利を主張したがります。
ペランペランな。( ̄∇ ̄)
それは、日本人の一人一人を利己主義に走らせ、
薄っぺらなところで、自分こそ世界の中心
と思わせて中流意識を根付かせ消費を促すためんです。
よくよく考えてください。
世の中の第一線で戦っている
経営者や職人、武道家、投資家、そのほか。およそ一人前になるまで修行するためには、
押忍の精神が必要です。
世の中で成功している方は、
全員が知っていることであり、必要なことです。未熟なものが全部を知らない方がいい場合の方が、
実は多いのです。知ったところで実力がなければ何もできない。
逆に実力がある方は、
聞かずとも状況がわかります。
明確にわかります。随分と経験し押忍の精神でやってきたからです。
それが人間社会です。
と書く現代日本は、
中流の権利を主張したがる。誠に嘆かわしいことです。
本当の恐怖を知らないからです。
物事の真髄を見極める力がないからです。
全責任を背負い、それでも一歩前に進む者は
全てを背負い、押忍の精神でやり抜きます。
雄の精神について、一般的な意味を記述転載します。
耐えがたきを耐え 忍びがたきを忍び
押さば押せ 引かば押せ
これすなわち 自己滅却の精神也
我が道に いかに険しき山あれど踏みてぞ越えん
押忍の精神
※http://phalaenopisis.blog99.fc2.com/blog-entry-444.htmlからの抜粋
「押忍」とは「押」と「忍」の二文字より成り立ち、その内、忍とは刃に心と書く。
刃(カタナ)とは日本武士の魂であり、我々にしてれば拳技こそが刃である。
研いていない刃は鈍ら(ナマクラ)であり、イザという時に本来の役に立たない。
同様に拳技も日頃より、研き、鍛えておかねばならないのである。当然、切れ味鋭い刃は武器にもなるが、凶器にもなり得る。
刃は抜身であってはならない。武士は普段は刃を鞘に収め、
無闇に抜き放つことはあってはならないとされていた。
空手も同様、真に必要な時以外にはその拳技を振るってはならない。
蛮勇で振るった技はすでに拳技ではなく、凶器に過ぎない。
心という鞘に収めて制御してこそ「技」である。
故に刃と心は合わせて一字で忍と書く。その「技」と「心」を以ってして、何を「押」えるのか?
当然、自己に未熟と他者の不当な侵略や暴力を押さえ止めるのである。
自身を護り、かつ仲間を護る護身の術、精神に他ならない。
押忍とは武の精神の表れであり、武とは二つの弋を止めると書く。
「押忍の精神」
こんな言葉を聞いたのは、初めてです。
成功者はこんな精神状態だったりするんですね。
一人前になる修行。
「清濁併せ呑む」という言葉を聞いたことがありますが、
それよりも、全然、上の状態な気がします。
「耐えがたきを耐え 忍びがたきを忍び
押さば押せ 引かば押せ
これすなわち 自己滅却の精神也
我が道に いかに険しき山あれど踏みてぞ越えん
押忍の精神」
古川さん素晴らしい。
こういうことを発信できる方は、ホント素晴らしい。
ぼくこういう言葉好きなんですよね。
まだこんな境地には、至っていませんが、読んだだけで感動します。
多くを経験されて来られたんですね。
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